其の47 美少年


 美醜というのはそれぞれの価値観によって決められるものだからわたしが少年の頃、大変な美少年であったというのは真実だと思う。ただ唯一この事実が正しいかどうかについての不安な点はわたしが美少年であったことを支持してくれているのがわたしだけだということである。いや、小学生の頃の担任の先生も支持していたように思うので二人である。先生はわたしの美少年ぶりをこう評していた。「昔だったら一番の男前だったのに……」昔という言葉の定義が曖昧であったことと、「だったのに」という仮定法を用いている点を除けば概ね大変な賛辞である。これひとつをとってもわたしがどれほど美少年だったかが偲ばれるというものである。それとあまりに美しかった為か、周りの女性が気軽に近づいて来れなかったという事実もその美しさの傍証となると思われる。
 この美しさが仇となり、少年時代よくゲイに連れていかれそうになった。
「なあなあ、おっちゃんとちょっとご飯食べにいかへんか?」と言われたのが小学二年の頃だったと記憶している。これが最初のゲイとの遭遇だったわけだが、勿論当時はゲイという言葉も知らないし存在も知らなかったのでつい、「何食べるの?」と聞き返したのだが、非常に危険であった。そのときおっちゃんが「うーん、蕎麦」と言わなければわたしの処女は失われていたかもしれない。おっちゃんがカレーと言わなかったことを神に感謝したい。
 次のゲイとのコンタクトは小学三年のときである。公園で遊んでいたわたしの所にふらふらと酔っぱらいながらやってきた労務者風の男はわたしの腕を掴んでこう言った。
「お、お、おっちゃんなあ、我慢できへんのや。な、頼むから、ほらこのチャックおろしてくれい」不明瞭な発声だったので、わたしは「どうするの?」と聞き返したのだが、これも非常に危険であった。「ほ、ほれ、これを、おろしてな」と徐にジッパーをおろそうとし始めたのだが、カチャカチャ言うばかりでジッパーがおりない。「あ、ああれ。おりへんわ。僕、おろしてくれへんか」と言われて素直にジッパーに手をやっておろそうとした所などは少年時代におけるわたしの博愛精神溢れるエピソードでもあるが、非常に危険な状態であった。あまりに硬かった為、「お父さん呼んでくる」と言わなければ今頃どうなっていたか解らない。
 これより変なおじさんの言うことを聞かないよう強く戒められた為かしばらくはこういった類の事件は、リコーダーで「グリーン・グリーン」を吹きながらの帰り道、二十代の男に「それ舐めさせてくれへん?」と言われたことくらいで他にはなかった。
 中学一年の頃である。塾へ向かうとき大学生とおぼしき男に声を掛けられた。
「おにいちゃんと喫茶店にでも行こうか」非常に強引な語り口であったことを記憶している。その頃から近眼になり始めていたのでもしかしたら知り合いの人かもしれないと思い、丁寧な返答をした。当時から礼儀正しかったのである。
「すいませんが、これから塾があるもので」そういうとその大学生は落胆の表情で、「そ、そうかあ。塾か。塾は大変やなあ」と言った。失礼のないように相手が話し終わるのをじっと直立不動で待っていた。「で、でもなあ。塾行って一所懸命勉強して大学生になってもなあ、大したことないで。おにいちゃん見てみ。なんとなく解るやろ」寂しそうな顔をした大学生は続けた。「な、だから一緒に喫茶店にでも行こう」そういってわたしの腕を掴もうとしたのであるが、時計を見るともう授業が始まる時間である。「すいません。もう時間なので」そう言って軽く会釈をして立ち去ったのであるが、後で冷静に考えてみて彼はゲイだったのだと納得した。その頃になるとゲイの存在も知っていたのである。しかし離れ際、「まあ、勉強頑張りや。で、でもなあ。大学生になっても一緒やで。一流大学に行っても駄目な奴は駄目なんやで」と言ったのが未だに心に残っていて、彼の最後の言葉の正しさを今更ながらに実感している。
 これ以降、ゲイとの遭遇はないのであるが、やはり美少年を卒業して男っぽい顔つきになり、身長も伸びてきたからであろう。それとムエタイをやってそうな体つきもゲイを遠ざけている原因かもしれない。
 現在は当時の顔つきとは大きく変わってきたのであるが、それでも猶、美少年であった頃の面影が残っているのか、やはり周りの女性は気軽にわたしに近づいて来ないようだ。もういいのに。そんなこと気にしないよと声を掛けたいのであるが我慢している二十六歳の春遠からじ。


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