其の49 ハッキリ


 コミュニケーション不全と言われて久しい。社会が巨大になるに連れて、マスメディアも発達し、それによってあらゆる情報は人を介さなくてもよくなってしまった。ええと、あれはなんだっけ? などというときでも別段周りの人間に聞かずとも本屋に行ったりネット空間を探索すれば大体のことが揃っているのだ。だからというわけではないのだが、日本人は他人とコミュニケーションをとるのが苦手な民族になってしまったようだ。これには色々と原因が考えられるだろうが、その一つに感情を顕すことが少ないというのがあげられよう。動かざること山の如しなどと言って何事にも動じないのが美徳とされている感もある。そして愛想笑いをし、はあなどと言っていれば何とかなる。こういったこともコミュニケーションが苦手になる原因でもあろう。しかしこのままではいけないのではないのだろうか。そろそろ日本人も自分の意思を明確に、そしてフランクに他人と接する訓練が必要なのではないのだろうか。
 例えば泥棒が金庫を物色している。このタイプの金庫は初めてなので泥棒はかなり焦っている。そこへ家主が帰ってきた。
「ん、何してるんだ!」
 これではいけない。この家主は現状をしっかりと認識していない上、これから家主−泥棒という関係を築こうとしている。まどろっこしいし、己の感情に素直ではない。
 泥棒が金庫を物色している。この金庫のロックがなかなか外れない。焦る泥棒。そこへ家主が帰ってきた。
「盗まれているのだ!」
「盗んでいる!」
 こうすれば責任の所在が明確になり、より一層泥棒と家主との関係がしっかりと結ばれるというものである。そしてこれからいかなるドラマが始まるかは解らぬが、まず家主-泥棒というしっかりとした関係があるので、スムーズに次の展開に移行できるように思える。またここで
「盗まれているのだ!」
「まだ途中だ!」と叫ぶことによって泥棒ではなく彼は家宅侵入罪人及び窃盗未遂者であることが家主にも解る。次の言葉も出易いし、今後家主も対処し易いというものである。
 この運動をハッキリ運動と名付けたいが如何であろう。この運動はそれぞれの人の行為や主張が明確になるので他人とのコミュニケーションも円滑に進むように思える。
 またこういうときにもハッキリ運動を展開すべきである。
 悪代官が悪徳商人と談合中である。
「ささ、この饅頭をおおさめくだされ」
「ほう、饅頭か、わしは辛党でのう」
「その辺はわたくしも考えとりますよ、御代官様。饅頭は御代官様のお好きな金色の饅頭でございます」
「わはは、金の饅頭か。それならばわしの好物じゃ、ん、何やつ!」
「その悪行この目でしかと見たぞ!」
「この悪行その目でしかと見られたぞ!」
 レル・ラレルも活用したいし、指示代名詞も明確にしておきたい。
 正義の味方が妙な動きをする怪人を見つけた。しかしその怪人は襲ってくる気配がない。泰然とこちらを見ている。そこで正義の味方はこう叫ぶのだ。
「敵か! 味方か! 中間か!」
 こうすれば怪人は細かい説明をする必要もないのである。
 また日常生活においてもハッキリ運動を展開しなければならない。
 老人が孫を連れて散歩をしている。孫は久しぶりにおじいちゃんと散歩するのだから嬉しくて仕方がない。おじいちゃんの後ろの方には若い女性が歩いていて、前には犬を散歩させている中年男性がいる。そのとき孫が前方に何か落ちているのを発見する。財布だ。拾おうとしたとき向こうから財布を落としたとおぼしき男性が走ってくる。そして女性の背後ではひったくりが今まさにショルダーバッグを盗もうとしている。もうおじいちゃんには何が何だか解らない。そこでハッキリ運動である。
 孫      「拾った!」
 落とし主   「拾われた!」
 ひったくり  「ひったくる!」
 女性     「ひったくられる!」
 散歩中の男性 「見たぞ!」
 ひったくり  「見られた!」
 おじいちゃん 「解らない!」
 犬      「わん!」
 老人にも優しいハッキリ運動、これから全国的に展開したいと思う。

  (注)ハッキリ運動はいかなる政治的組織とも無関係である。


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