其の15 酩酊


 薬というものに興味がある。別段死にたいなどと願っているわけではないのであるが、何故か無性に惹かれるものものがある。怖がりなので非合法ドラッグには手を染めたことはないが、合法的なドラッグならいくつか試したことがある。例えば咳止めのブロンなんかは一時期かなり填まったことがある。実際に咳が止まらなかったので服用したのだが、これがなんとも気持ちが良く、トロンとしてきて直にでも眠くなってくる。ほんの少しだが目の前がゆらゆらする。一本ぐらいを一気に飲み干すと暫くしてからこういう症状が始まるのだが、さすがに合法ドラッグだけあって小一時間もすればその効き目もなくなってしまう。アルコールと一緒に服用するとどちらの効き目かはわからぬがブロンだけよりも効き目が長持ちする。それが楽しくて一昨年の冬に填まったのだが一日一本は飲んでいたように記憶する。しかしこの薬には困ったことに便秘になるのである。いやほんと便秘になり屁も臭くなる。これが嫌になって一気に止めてしまった。そこで色々考えた。便秘にならない咳止めはないかと探してみることにした。このブロンという代物は本来は咳止め薬であって、咳を止める為に僅かながらモルヒネが入っているのである。ということはである。ブロンに限らず他の咳止めの薬にも量の差こそあれ入っているのではないかと考えたのだ。咳止めの帝王は龍角散である。あれは効きそうである。それで試してみたのだが見事に咳は止まった。しかし予定していた酩酊はやってこず、代わりに喉が乾いてくる。それで水を飲みながら結構な量を飲んだのだが、途中で小便に行きたくなるし、いちいちごほごほいうので馬鹿らしくなって止めてしまった。深夜一人部屋の中で一所懸命龍角散を飲んでいる様はほんと間抜けだ。ブロンで耐性も出来ていたのからかもしれないが、しかし龍角散でラリるというのも情けないものがある。
 他には睡眠薬を飲んだことがある。色々な文献を漁りここまでは大丈夫であるというラインを決め、一気に飲もうと計画していたのだが、それほどの量が手に入らずほんの少しだけ服用した。それでもやはり眠くなる。ふにゃふにゃという感じで眠くなってくるのである。アルコールと一緒に飲むとグー! というのを聞いたことがあったので試そうと思ったのだがたまたま酒がなかったのでそのまま飲んだのだが、いやほんとによく効いて目覚めたのは次の日の夕方、眠気もすっきり直った。睡眠薬でラリると思っていたらただただ眠っただけという普通の効果しか現れず睡眠不足も解消し、すっきりした自分に腹が立ったが健康に勝るものなし、その日は快調に過せたのである。
 そういえば一度だけハルシオンなる有名な睡眠薬に出会ったことがある。とある理由で入院していたのだが、そのとき看護婦にねだり一回分貰ったのである。やはり病院だけあって意味無く貰えるわけもなく、眠い眼をこすり「眠れません」と何度も夜中に起きだすなどの苦労の末貰ったのであるが、いやほんとに眠かった。御存知の通り入院していると起きるのは六時ぐらいで夜は十時を過ぎると眠くなってくるのだが、そのときは三時ぐらいまで粘り看護婦が根負けしたところで入手した。その後は眠くて眠くてハルシオンを服用するまでもなくぐっすりと眠ってしまったのだが。次の日試したが期待ほどの効果はなく、やっぱり眠くなるだけだった。担当の医者にハルシオンについて訊ねたのだが、「いやあ、ハルシオンねえ、あれ名前だけ先行して、実際そこまでの効果はないですよ」と一蹴されてしまった。いやいや火の無いところに噂は立たぬ、量が少ないのかもしれんと、再び看護婦にねだって、少しずつ溜め、一気に飲んだのだが、やっぱりただ眠くなるだけであった。ほんとわたしは睡眠薬を飲むとただ眠くなるだけでお間抜けなのであるが、体質だから仕方がない。そういえば同じ病棟に入院していたおじさんがハルシオンを溜めこみかなりの量を保持していた。おじさんはわたしにだけこっそりと「ハルシオンなあ、一気に飲もう思ってなあ」と言い嬉しそうに笑っていたのだが、おじさん以外、わたしを含めた病院の全ての人がそのおじさんが癌で先が短いということを知っており、その空間は非常にシュールであった。さて退院するときなのだが、一番親しくなった看護婦がこっそりと「あのハルシオン、ほんまはセデスやってんで」と嬉しそうに言っていたのだが、セデスは生理痛、虫歯の薬である。いや騙されたのだがこちらも笑ってしまった。セデスをハルシオンと思い神妙な顔で服用していた様はお間抜けだ。ということで一回だけしかハルシオンを飲んだことがないのだが、やっぱり量を飲めば効くのかもしれぬという思いだけは未だにある。
 そうそう虫歯の薬といえばバファリンである。わたしは幼少の頃日本で通えるドイツの学校に通っていたのでバファリンをバァッファリンと発音しているのだが、スペリングをみるとやっぱり間違っていない。皆もバァッファリンと発音するように。それでそのバァッファリンを大学時代によく飲んだものだ。取り敢えず鞄には一箱は入っていた。意味も無く飲んでいることもあった。元々虫歯持ちであり、これが偏頭痛を引き起こすので携帯していないと不安だったのである。その虫歯であるが、あるとき深夜に虫歯の痛みが最高潮を迎え、わたしはグレゴールザムザのごとく虫になってしまったのだ。部屋の中を行ったり来り歩き回り、とうとう最後にはバァッファリンを一箱丸ごと服用してしまったのである。ところが日頃飲んでいる為に耐性が出来ていて全く効き目がなくその夜はのたうちまわる目に会ってしまった。それで次の日からいざ鎌倉のときの為バァッファリンを日常的に服用するのを止めてしまったのである。
 今やわたしは煙草以外はやっていない。まったくもって健康体である。であるからこんな雑文なんかも毎日のように書けるのであるが、しかし風邪をひいたらしく咳が発作的に出る。やっぱりブロンを飲もうかなとか思っているのであるが、咳止めは手元にある龍角散が一番なんだがなあと酩酊と咳止めの効果とのダブルバインドに悩まされている今日この頃である。


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