其の25 言い訳をする


 よく言い訳をする。子供の頃からそうである。例えば宿題を忘れたときなどはわたしの独壇場であった。
「なんで宿題を忘れたの!」
「あ、あの、あのですね、宿題をやってこようと思ってたのですけど、父がですね、あれなものですから」
「あれってなんなの! 本当のこと言いなさい」
「宿題のノートを教室に忘れたんですけど、夜に学校に行くと警備員さんの止められて、仕方なく……」
 こんな破綻したような言い訳なのに、素行の良さと持ち前の上品さと端正な顔で許されるものだから、人間なんでも言い訳すればいいんだと思ってしまうのは当たり前である。中学生の頃もそうであった。クラブの試合のとき、わたしはハンドボールなる団体競技をしていたのであるが、フェイントに引っ掛かってシュートを打たれることなんかがある。
「なんで、そこもっとぐぐぐっと寄せてプレッシャーを掛けないのだ」
「ああ、あれ? あっちのエースがロングシュートを打ちに行くそぶりをみせたものだから」
「嘘つけ! 俺も見ていたけどそんなことなかったぞ。ほんまのこと言うか、謝れ!」
「……ほんとは、右手にUFOが……」バキッ! 謝れというのもどうかと思うが、兎に角殴られてしまうくらいで済んでいるのでほんとに対人関係を甘く見てしまっているところがある。言い訳さえすればなんとかなるものだとさえ思っている節があるのだ。その上嘘つき、いや法螺吹きなものだからたちが悪い。それに三つ子の魂百までという諺もあるように一旦定着してしまった性格というのはいくつになってもなおることがない。大学時代のときもそうであった。このテストを受けないと留年してしまうという大事なテストがある。そんなときでさえも、寝坊なんかをしてしまうこともある。誰だってあるはずだ。
「はあはあ、ガラッ、すいません、昨日のテストのことなんですけど……」
「何故来なかったんだ。お前だけだぞ」
「い、いや、あのですね。風邪ひいてしまって、熱が四十度くらい出ててですね、勉強はばっちりだったんですけど……」
「ほう、そうか。では今からテストしてやる。特別だぞ」
「え、今からですか、い、いや、あの。ちょっと今日は……」
「何か用事でもあるのか」
「あの妹がですね、あれなもので」
 大体において、あれなものでという言い訳を使っていたような気がする。あれなものとはいかなるものか当人も解らないのだが、何となく相手も納得してしまうのは妙である。やはり公家を思わせる上品な言動が理由なのかもしれない。
 当然、社会人になってもそうである。やはり癖はなかなか抜けない。社会人がどんな局面で言い訳をするかのトップはやはり遅刻であろう。その言い訳の中でも多いのはやはり交通状態の悪さを訴えるものである。遅刻をする人の言葉を信じれば、道路は必ず渋滞し、バスは遅れ、満員電車からは抜け出せないことになってしまう。そんなはずはないのだが、皆一様に自分には責任がないということを訴えるようである。普段は職場のデスクのひとつひとつに一輪挿しを用意するほど準備万端で仕事に臨むわたしであるが、そんなわたしであってもたまに遅刻することもある。殆どの場合は、渋滞に巻き込まれたということでお茶を濁すが、本当は濁せていないのだが、それで謝ってしまうことにしている。遅刻した日が五日、十日など「ごとう日」と呼ばれる日であると少し気持ちも楽になるし、また月末で渋滞というのも使うこともある。ひと月のうち五日、十日、十五日、二十日、二十五日、三十日は「ごとう日」で済まし、二十九日、三十一日は月末ということで済まし、お盆前や年末は帰省ラッシュで済まし、祝日前は祝日前として済まし、月曜日はなんとなく渋滞が多いと済まし、後の日は事故があったかもしれないとするのであるから、年がら年中渋滞の理由だらけである。まるで旅館の特別料金のようである。これが真実ならば誰も車になんか乗って仕事に行くものなどいなくなってしまうし、法律で取り締まらければならないほどである。しかしまだ渋滞などを理由とするのは可愛げがあってよい。わたしの友人などは遅刻の理由として「目覚ましが鳴らなかったから」といい上司が呆れたというのだから言葉が出ない。
 言い訳というものは大体目上の者にすることが多いようである。上司が部下などに言い訳をすることなどはないだろうし、先輩が後輩に言い訳をすることも少ないかもしれない。とすると年齢が上がるに連れて言い訳をすることよりも言い訳を聞くことが多くなってしまうのは世の理であろう。わたしもそろそろ言い訳することよりもされることが多くなってきている。
 例えば、ある者は遅刻の言い訳としてこう言った。
「向かい風だったから」
 流石に笑ってしまったのだから、その後は叱ることなどできなくなってしまった。基本的にわたしは面白い言い訳なら許すという立場の者である。また、
「亀を助けたら、なんか箱をくれたんですけど、これは玉手箱だろうかと悩んでいて遅れました」
 これは途中詰まった為叱った。それに冗長である。叱り方としては、
「白髪になってないじゃないか」であったが、間違っているだろうか。
 また欠席の理由として「誕生日だから」というのも凄いものがある。じゃあ何かい、あんたは華族かなんかかいと突っ込んでしまう。取り敢えず、
「政治家がパーティーに来るのなら許す」と言ったが方針としては間違ってはいないはずだ。
 ところが最近最強の言い訳を思い付いてしまった。
「人間だから……」
 そりゃそうだが、これを言われるとどうにも返すことが出来ないはずだ。だからの後の「……」を思慮深げに言うのがこつである。今度使ってみようと思うのだが、それによっていかなる処分がなされるのかは怖いので考えるのを止めておこうと思う。

(注)わたしの職場の人間がこの雑文を読んだ場合、それを上司に伝えることを禁ずる。


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